こちらの記事に関連したエジプト近代の政情と、農業政策についてざっくりとメモ。
世界史等々は不得意なので間違いがあった場合はそっと教えてください(証拠隠滅)
エジプトの近代の農業・産業についての資料はこちらのHPにて資料が見られます。
ジェトロ(日本貿易振興機構) | ジェトロ
ジェトロは2003年に設立されました独立行政法人です。 海外74カ所、国内45カ所のネットワークをフルに活用し、海外ビジネス情報の提供、中堅・中小企業等の海外展開支援、対日投資の促進などに取り組んでいます。
海外進出とか貿易をしたい企業に現地の資料を提供したりして手助けするのがお仕事の独立行政法人です。
世界各国についての資料が揃っていて、その中にはもちろんエジプトの資料もあります。
その中からこの辺かな?という資料参照しつつ、必要なデータを拾っていきたいと思います。
資料
エジプトビジネス情報とジェトロの支援サービス
エジプトの政治経済改革
アフリカ主要国の農水産業・食品加工分野における対外ビジネス有望産業(アフリカ食品ガイドブック)エジプト編
2003年3月
https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05000283/05000283_004_BUP_0.pdf
ざっくり大まかにわかったこととメモ
・1952年のエジプト革命前(ムハンマド・アリー朝~イギリス支配時期)は植民地型経済で、輸出用作物の綿花を主力としていた
・以降、綿花モノカルチャー経済という近代エジプトの経済システムを改革しようと試みるが、根本的な解決には至っていない
・小作農と地主という形態が続く
・綿花が主力輸出作物だったが、その後国際価格競争などの複合的な理由で地位が低下
・エジプト共和国成立前の時点では植民地型の農業で綿花が主力だったため、農家が自由に色々な作物を作って自由に売るという形態ではなかったようだ
・19世紀初頭以降、急激な近代化政策が取られる(その借金が元でイギリスの管理下に置かれる)
・第一次世界大戦(1914~1918)時にイギリスはエジプトを保護国化(戦略的に重要なスエズ運河を押さえるためイギリスの軍事支配下に置かれる)
1882年、実質的なエジプト保護国化を行い、第一次世界大戦開戦に伴い、1914年に正式に保護国とした
イギリスは1922年にエジプト王国の独立を認め、その懐柔をはかった。。しかし、スエズ運河地帯と、エジプトの南に隣接するスーダンへのイギリス軍の駐留権は依然として手放さず、スエズ運河支配を維持したので、エジプトは完全な独立を達成したとは言えなかった。
・第二次世界大戦1939~1945を経てイギリスの支配力低下・独立運動のさらなる高まり、政情不安定など
・1952/7月に軍事クーデター
・1953年に国王を廃位し共和政へと移行し、エジプト共和国となる
・1953以降、政府方針や経済状況変化していった事についての資料は見つかるが、農作物の作付けの変化についてはまだ資料を見つけていない
・近年についてはトマトの生産量はどんどん上がっているが、それでもトマト(缶?)の輸入は続いているらしい。消費量に対して足りていないのか、好みの問題かは不明
・エジプトは三毛作(トマトがどのように作られているかは資料探し中)
・アラブ社会主義から自由経済へ移行していると言われているが、根本的な部分では構造の大きな変化は無いというレポートもある。この辺は今回の話には関係が薄いので割愛。