キュケオーンは麦のおかゆ?
「プラムノス酒(ワイン)、チーズ、大麦、琥珀のハチミツの粥」
「粥」と言われたらどういう料理を想像するでしょうか。
日本の食事に親しんだ大半の人は写真のような米がゆを思い浮かべると思います。

photo credit: framboise Porridge and Mentaiko Pickles via photopin (license)
米がメインの文化圏だから米がゆだよね是非もないよネ。
それはそれとして麦のおかゆことキュケオーンの再現料理イメージ画像はこちらです。

※この画像自体はマンゴースムージーの写真です
麦粥ってせめてこうじゃね!?と思った皆様、自分も昔オデュッセイアを読んだ時はこんな系だと思ってました。
というわけで謎が深まったところで謎の麦料理「キュケオーン」について説明していきたいと思います。
ここではオデュッセイアの中でキルケーが出した料理に絞って、「粥」として話を進めます。
※実は分量が記載されていないため「麦粥」と確定している訳ではない。説によっては「酒」「飲み物」とも解釈している。あくまでFGOなどが「粥」説を採用しているだけで、どんな料理かは不明。
素人の説明なんて求めてない!というかたは直接、この記事の参照元の本「古代ギリシア・ローマの料理とレシピ」を読むと手っ取り早いですが、絶版本なので出版元に再販してよとお手紙出すか、図書館を探してね!!
いまだったら、乗るしか無いこのビッグウェーブに、と思ってくれる担当さんが居るかもしれない。
さて、最近出た本でキュケオンのレシピを掲載している本がありますが、
この本はギリシア・ローマの料理とレシピ掲載のレシピが元になっていて、そこから卵を増量とリコッタチーズの材料(かなり塩辛い)を追記して掲載されています。
掲載の小麦粉粥のキュケオーンのレシピについては著者のかたが「文献史実の一次資料的にはグレー?になりますが、『古代ギリシア・ローマの料理とレシピ』で紹介されている卵を(入れる)」と、冊子発行前の2016年に述べています。(冊子内でそのあたりの説明はない)。
ギリシア・ローマの料理とレシピのキュケオーン(を含めた様々な)の再現料理レシピは古代料理レシピの推測のひとつであり、決定版ではないです(詳細はこの後の説明参照)。
そのことは最近出た再現料理本の筆者のかたも勿論承知していますし、再現料理会では別のレシピ、色々な味のものを出してみたいとツイッターで述べています。
(※予定されていたキュケオーンの再現料理会が中止となったため、どういう調理や味付けのものを出すつもりだったのかは不明。自分も知ったのが中止後だったので申し込めずと言うか、平日昼間の講座でマイナーギリシア料理というチョイスが市民講座の客層とは食い違っていたのかもしれない…ざんねん。)
ではどうやってレシピを推測したか、そして決定版でないのはなぜか。引用元の古代ギリシア・ローマの料理とレシピは、再現レシピにたどり着くまでの理由や、試作についての経緯を詳しく説明している(そして最近出た本は引用元の古代ギリシア・ローマの料理とレシピの記述より引いて記事にしている)ので、どういう理由でこのレシピになったのかを詳しく知りたい人はこちらの本を併せて読むのがおすすめです。
前置きが長くなりましたがこのような理由で、以下の記事ではこちらの本のキュケオーンの項目をベースに以降の話を進めていきます。
なおこの本の翻訳元の本は1996年に発行された英語の本です。
キュケオーンのレシピは残っているのか?
結論だけ先に言うと「そんなものはない」。
まず1つ目の理由、「キュケオーン」自体が叙事詩オデュッセイアの中に出てきた「魔女の島でキルケーに振る舞われた料理(できあがった粥にあとから毒を入れたもの)」だが、当時実在していたと思われる料理がどんなものだったのかは、よくわかっていない(他の文献にレシピが残っていたわけではないらしい)。
2つ目の理由、オデュッセイアの中で「どんな材料を使っていたか」は語られているが、その材料をどうやって料理したか(どういう手順で粥にしたか)は語られていない。
小説で「野菜と果物と食べ慣れないスパイスがたくさん入ったカレーを振る舞われた」みたいな場面があったとしても、(料理がメインの小説でない限り)特に理由がなければその作り方が説明されないのは当然で、料理名が出てくれば読んだ人は自分の知識と照らし合わせて適当に味と雰囲気を思い浮かべるものである。
そんなわけでこのキュケオーンも「こんな材料の食べ物(粥・飲物)」という説明で終わっている。
キュケオーンは全くの空想創作料理ではなく、当時の人が慣れ親しんでいた「実際あった料理」をイメージの元としているようなので、当時の人達は説明を聞いただけで「麦をあんな方法で煮て…あんな感じか」と想像して味を思い浮かべることが出来たのだろう。
物語に出てくる料理である一方、古代ギリシャではエレウシスの秘儀(実在したという儀式)に用いられたキュケオーンという飲料が存在していたという。しかしそれは秘密の儀式だったので、詳しい内容や飲んでいたもののレシピは残っていない。この秘儀用のキュケオーンについては、一説では毒性のある菌がついた麦(麦角菌)を使っていたのでは?とも。
なににしろ詳細が無さそうなので、今回の話からは一旦除外。
今あるキュケオーンのレシピはどこから?
「魔女キルケーの島」の出典元である「オデュッセイア」にはキュケオーンのレシピは載っていない(存在していない)。
では今あるレシピはどこから来たのか。
レシピが元々無い。つまりキュケオーンのレシピとは後世にオデュッセイアを読んだ人が物語の説明から想像・創作(再現)したものなのである。(そのため完全に的外れという可能性もゼロではない)
キュケオーンのレシピを再現するためには
1.物語内で説明された材料で作った料理の再現
2.古代の食べ物の再現
の2点が問題になってくる。
さて、後世の人こと古代ギリシア・ローマの料理とレシピの著者が料理を再現するにあたってどういう方法を取ったか。
キュケオーンは「粥料理」と言われているのだが、オデュッセイアが作られた当時の「おかゆ」のレシピはどんなものだったのだろうか?
そこで出てくるのが「カトーのおかゆのレシピ」である。
カトーのおかゆのレシピ
カトーことMarcus Porcius Cato(大カトー)は、234 – 149 B.C.の、ローマの人物である。
成蹊学園学術情報リポジトリより「カトーの『農業論』について」
※ページ内の「keizai-44-2_109-112.pdf 」をクリックで、論文(カトーの『農業論』についての説明)が読める。
今回の記事ではリンク先の説明に任せて詳細は省くが、このカトーの農業論に当時のカルタゴの小麦粉おかゆの分量付きレシピが綴られている。これがカトーのお粥のレシピである。
※カルタゴは現在の北アフリカ・チュニジア共和国にあった古代都市国家で貿易でとても栄えていた。
古代ギリシア・ローマの料理とレシピではまずホメロス(作者)の記述に基づき材料をあれこれ調理して試し、その上でカトーのレシピを試作。
結果良い粥(この場合は「文献ですすって飲むという説明があったのでそれに合致する固さの粥」を指している)が出来た。
それを元にして(カトーレシピはほぼそのままで総量のみ減らし、材料を一般家庭でも入手しやすい材料にして)、キュケオーンのレシピ(固さ重視)を推測したのだそうだ。
この時点でオデュッセイアの記述にあった「ワイン」「大麦」が外れて、カルタゴの「チーズと小麦粉と卵とハチミツ」の粥になる。
(これが現在出回っている「小麦粉粥キュケオーンのレシピ」。つまり大カトーの粥の再現料理)。
キュケオーンのレシピ
というわけで古代ギリシア・ローマの料理とレシピでは、キュケオーンのレシピは小麦粉ベースのおかゆという方向性になっていた。
(実在した料理のカルタゴのお粥のレシピの再現、を現代風に材料や手順を変更し、キュケオーンとして紹介している)
この本を見ながらキュケオーンを作ってみた方がいらっしゃったので記事を紹介する。
古代ギリシア・ローマの料理とレシピで再現したキュケオーンのレシピ(分量・手順等)はリンク先にて。
古代ギリシア料理、魔女キルケーの『粥』
2015年3月30日
美味しいですが、蜂蜜の入れ加減を少なめにしたほうが甘すぎず良いです。
記事を見ての通り、現代でも手に入りやすい「デュラム小麦」(
スパゲティやマカロニ用)の、セモリナ粉(胚乳を粗挽きした小麦粉)を使ったものになっている。
(カトーのレシピだと「エンマー小麦」を使っている)
デュラムセモリナ粉は成城石井等、珍し目の食材を売っている店で入手できる。
ファッロ(エンマー小麦の玄麦)パーチナPacina Farro
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エンマー小麦(古代小麦の一種)は現在は入手は可能だが、小麦粉になったものなど調理しやすい形での入手は若干難しい。
※エンマー小麦は、マカロニ小麦やデュラム小麦のご先祖
こちらの「バルトリーニ エミリオ ファッロ ( ウンブリア産 ) 500g」の商品名のスペルト小麦なら成城石井に売ってました。
※「スペルト小麦」は、パンコムギのご先祖
自分が行った店では穀物コーナーではなくパスタコーナーに置いてありました。どうして…。
参考資料
スペルト小麦とエンマー小麦|地域おこし協力隊|おみも|麻績村ポータル
カルタゴの粥
カトーが紹介した「カルタゴの粥」はどういう位置づけの料理だったか。それについてはこちらの本に説明があった。
一日古代ローマ人
で、どういう説明だったかと言うと
googleブックスの本文試し読み 参照。1章「食」の8-9節によると
富裕層もプルスを食べたが、それには新鮮なチーズや蜂蜜、卵などが加えられており、小麦粉を水で溶いただけの貧者のプルスとはまったく別物だった。こうした豪華なプルスは「カルタゴ風プルス」といわれた。
今回挙げられている「カルタゴの粥」はこの富裕層用のごちそう小麦粉粥に当たるようだ。
(一般人の粥は調味料過多ではないフツーの麦粥だったと考えられている)
小麦粉のレシピは果たして正解なのか?
ここまでの話と疑問点をまとめる。
ここ最近、日本で一番よく知られている再現レシピ(古代ギリシア・ローマの料理とレシピ」で推測されたもの)では、料理の名前「キュケオーン(かき混ぜて濃くする)」と、「すすって飲む」という記述から連想して「レシピや食材資料が残っているカルタゴの小麦粉粥」に行き着いていた。
しかし元々の出典では冒頭の文章の通り「プラムノス酒(ワイン)、チーズ、大麦、琥珀のハチミツの粥」とあり、麦はこれでいいの?という疑問が。ワインも行方不明に。
また、同作者の別の物語「イリアス」に出てくる粥は「タマネギ・ハチミツ・引き割り大麦・ワインの粥に山羊チーズのすりおろしとひき割り麦をふりかけた」とある。オデュッセイアと同じ製法の料理かはわからないが、この説明だと小麦粉粥ではないようにも感じる。
カトーのレシピは、古代ギリシア・ローマの料理とレシピ内の引用分では小麦粉とは明言されていなかったが、別の部分の表記を参考にして 小麦粉 を使うことにしたようだ。
当時の麦(品種)や麦の粉がどういった状態(細引き・粗挽き)だったのかは一旦割愛するが、再現にこだわる場合はこの辺も要確認事項である。
チーズについて、古代ギリシア・ローマの料理とレシピの再現レシピは(牛乳の)フレッシュチーズのリコッタチーズを使用している。
カトーの粥レシピに出てくる「新しいチーズ」=フレッシュタイプのチーズと断言できるかは、現在ある資料では不明瞭である。
オデュッセイアの別の章の「サイクロプスの島」では、巨人たちがチーズを作っている様子が綴られている。そこで作られていたのは日持ちするハードタイプのチーズだったのではと推測する人もいる(当時既に皮付きの保存可能なチーズが合ったのでは、という予想)。
小麦粉を現代用に変更していたのは先に述べた通りだが、チーズについても現代向けに変更されていて、リコッタチーズが指定されている。
古代ギリシアのチーズは牛ではなく羊や山羊の乳から作られていた(現在もあるフェタチーズの原型)と考えられている。
しかし現代向けレシピではあえてフェタチーズは外して、牛乳から作り、家庭でも簡単に作れるリコッタチーズに変更している。現代人が食べ慣れている味にするのと、手軽な材料で作るという目的からだろう。
※ただし「手軽」なのは、リコッタと称したカッテージチーズのレシピ
チーズではないチーズ?リコッタについて
https://www.cheese-professional.com/article/column/detail.php?KIJI_ID=1362
現在だと牛乳が一番入手が容易なミルクだが、今の時代ヤギのミルクも通販で購入可能である。流通とはありがたい。
下記の商品は冷凍で届くらしいのでチーズを作れるのかはよくわからないが、自作希望の人への参考として掲載しておく。
チーズを作れる設備がない場合は、出来上がったチーズ買うのが安全策かと思う。
パッケージが異なるがこちらのフェタチーズが成城石井で売っていた。「塩抜きして、またはそのまま」とパッケージ裏の説明にはあったので、使う料理に合わせて塩加減はお好みでという使い方をするようだ。
フェタチーズの説明はこちら。
知っておいしい チーズ事典 – 20 ページ – Google ブック検索結果
まとめ
長々と述べてきたが、古代ギリシア・ローマの料理とレシピ著者も述べている通り、そしてこの記事の最初に述べたように、書中の再現レシピは「いろいろな史実に基づいて導き出した憶測の段階」のもので、可能性の一つであって決定版ではない。
また筆者は本の序章で「実際に料理するためにつくりました、入手しやすい食材を使った、あまり高価でない材料で、現代に取り入れやすいものを中心に紹介」とも述べている。
今後研究熱心な人が様々な可能性を探って行くと、また新たなレシピが出てくるかもしれない…。
今回紹介の小麦粉粥レシピ以外にも、大麦を入れたレシピや、麦水ドリンク的なキュケオーン再現レシピも存在する(後ほど別の項目で紹介)
今回の小麦粉粥は現代人からすると食べ慣れない印象がある料理だが、再現料理に興味を持つ人が増えている昨今、現代の人も納得する新しいキュケオーンが試作される日も近い……かもしれない。
前置きだけで結構長くなってしまったので話したいところまで入りきらなかったけど、「おいしいキュケオーン(っぽい麦粥)のつくりかた」も探ってみたい予定です(いずれそのうち)
[FGOのキュケオーンイメージのデュラムセモリナ粉粥レシピを20.3.21に ↓に追加]
次の記事
「木馬があって泡立て器が無いとでも?」
[参考資料]
絶版の古い本も含まれるので、読んでみたい人は図書館の蔵書とも併せて探してね!自分は日比谷公園端の日比谷図書館に行ったよ!
いま、チーズがおいしい!―ヨーロッパのチーズ120ベストセレクション
そもそも再現料理とはなんぞや
「過去の再現料理は過去史料からの推測のひとつであることも多い」
「元がない場合はどういった方法で推測したか(どんな類型料理を元にしたか)経緯の説明を簡略化する場合もある」
「何かしらを現代風に置き換えて簡易に美味しくしている」
について、最近出た本の著者の方は再現料理とはそういうもので皆も理解しているという前提でレシピを出してい るようですが、本で何をどう替えたかについて深くは触れていないため、そこらの説明不足感(読者の史実に極力沿ったものだろうという期待との認識のズレ)についてamazonのカスタマレビューでも触れている人がいらっしゃいました。(史実そのものの再現料理であるかのような売り込み文句と、現代アレンジであるという説明がほぼない、といった感想)。
そんなこんなで最近出た本の内容が再現史実レシピ決定版のように誤認されているケースがぼちぼち見られる気がしますというか、料理本読みながらこのレシピが「古代料理を推測した可能性のひとつなので全く見当違いの可能性もある」「材料を現代用に置き換えている」とかあまり思い至らないわな。
キュケオーンのレシピについても、現代でも入手可能だけど高いとか一般的ではない材料に関しては作りやすいように材料の調節・置き換えがされています。
そのへんも含めて、再現料理とは「古代料理を完全コピーしたレシピ」と受け取ってしまうと………別に困らないか……。
古代の生活関係を本格的に調べたい場合は勘違いしたままだと困るかもしれないので、頭の片隅に置いておくといいかと思います。
ここまでの話をまとめると、再現料理は学術的な正確さとはまた異なる分野のものであることも多い、ということです。
なので古代ギリシア・ローマの料理とレシピのようにレシピ再現までの経緯も書いてあると、どういう素性のレシピなのかがわかりやすいので、今回の話は「最近出版された再現レシピを掲載している本」のキュケオーンのレシピの大本「古代ギリシア・ローマの料理とレシピ」をベースに話を進めています。
これを書いている自分だって史実そのものをお出しするのは不可能なので、とにかく再現料理とは「調べた上での推測再現したレシピ」「場合によっては現代材料で置き換え」であって「史実完コピ」ではないということは頭の片隅に置いといてください。
参考にする史料によって別解釈が出てくるので、いろいろな方向を探ってみようというのが一連の記事の主旨です。
ごちゃごちゃな文章ですが、お付き合いいただければ幸いです。
[…] キュケオーン(魔女の麦粥)の小麦粥レシピはどうやって再現されたのか […]
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