ネットをさまよっていたところ、「日本最古カレー」を作るという動画があったのでメモ。
「もんこのカレー教室TV」より
【再現】年間800食カレーを食べるカレー研究家が日本最古のカレーを完全再現 !! 《もんこ》
実際の材料・調理等々はこちらの動画にてご確認ください。
こちらの動画によるとレシピの出どころは国会図書館の「西洋料理指南」という本。
というわけでいつもの「国立国会図書館デジタルコレクション」にて探してみました。こちらで「西洋料理指南」をさがしてみたところ
西洋料理指南. 上 図書 敬学堂主人 著 (雁金書屋, 1872)
西洋料理指南. 下 図書 敬学堂主人 著 (雁金書屋, 1872)
の2冊が出てきました。
あと「西洋料理通」という本にもカレーのレシピが載っているそうなのでリンク(「後編」とついた本しか見つからなかったのでとりあえずこれだけ)
西洋料理通. 後編 (附録) 図書 魯文 編[他] (萬笈閣, 1872)
「西洋料理指南」「西洋料理通」両方1872年に出版された本です。このあたりから日本のカレーは始まっているようです。
上記の本が国会図書館で展示されていた時の説明がこちらです。
西洋料理指南:下巻敬学堂主人著 雁金書屋 明5 <YDM68860>
カレーが日本に入ってきた正確な時期は判明していません。現存する資料の中でカレーの作り方に触れている最も古いものの一つが本書で、“西洋料理”として紹介されています。玉ネギではなく長ネギを用いるほか、「鶏、海老、鯛、蠣赤蛙等ノモノヲ入テ能ク煮」とあるのが目を引きます。
西洋料理通:下巻仮名垣魯文編 万笈閣 明5 <YDM68861>
『西洋料理指南』と同様に、カレーの作り方に触れている最も古い資料の一つです。本書には“「カリド、ウイル、ヲル、フアウル」カリーの粉にて肉或は鳥を料理するを云”と紹介されています。『西洋料理指南』のカレーと比べると、現代の私たちが食べているカレーに近いものと言えます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/999355
国立国会図書館 第129回常設展示
暮らしを変えた新製品 ~身近なモノがデビューした頃~
こちらのリンク先には日本のカレーの初めてが書かれた本について色々紹介されているので一読をおすすめします。
国会図書館デジタルコレクションの誌名での検索結果からも、日本のカレーのはじまりについて、いろいろな本が引っかかってきて興味深いです(今回はメモのみ)
WEBでも日本のカレーの始まりの記事を探してみた
誌名で検索すると、横浜開港資料館の館報「開港のひろば」バックナンバー第116号の記事が見つかりました。
特別資料コーナー 仮名垣魯文著『西洋料理通』
カレーライスのレシピを翻訳し紹介!
こちらの記事の参考図書は「近代料理書の世界」という本だそうです。
あと、こちらの本にも日本のカレーのはじまりのあらましが載っているようです(Googleブックスで目次確認。「最古のレシピはカエル」の項目あり)
この本によると「ネギやショウガなどをバターで炒め、肉を入れて煮込み最後にカレー粉と小麦粉を入れる」という「西洋料理指南」のレシピを再現したカレーは、過去に横濱カレーミュージアムにて、横浜開港記念日の6/2に来訪者に振る舞われていたのだそうです。
書誌だと上に挙げた本などが詳しそうですが、WEBで読める記事だと、検索していて出てきた京都外国語大学の図書館フォーラムの記事が、日本のカレーのはじまりについてわかりやすくまとまっていて面白かったです。
親ページはこちら
フォーラム 「日本における世界の食文化」 日 時:平成25(2013)年11月2日(土) 「本学の貴重書からみる明治時代の食文化」
初めはカレーのお話ですが、日本に初めてカレーという言葉を伝えたのは福澤諭吉だと言われています。咸臨丸で渡米した際、清の商人から譲り受けた『華英通語』に和訳を加えて翻刻した単語帳『増訂華英通語』(万延元年刊)の中に見られるcurry stuffの対訳として、カレーは「コレルリ ストフ」と紹介されています。
また、日本で最も古いカレーの作り方が載っていると言われる二冊の本は、仮名垣魯文の『西洋料理通』と敬学堂主人の『西洋料理指南』(明治5年)で、後者は本学でも所蔵しています。
『西洋料理指南』のカレーレシピを見ると、「鶏、エビ、タイ、カキ、そして赤ガエルなどをよく煮た後、カレー粉、塩、小麦粉を加えていく」と、現代の定番レシピとは異なったものです。食材の赤蛙に関しては、英国人に仕えた中国の料理人が使用していたのではないか等、諸説ありますが、小麦粉を加えてとろみを出すのはインドでなくイギリスの調理法だそうです。具材が示す通り、庶民が手軽に揃える事の難しい贅沢なものが多く、実際に作って食べるというよりは、西洋の雰囲気を楽しむ為に読まれたと考えられています。
カレー以外の話ですが、続きも面白いので興味のある方はリンク先をご確認ください。
なお、店でメニューとして売られたのは結構後の明治19年頃のようです。上記の本でレシピが紹介されてから10年以上後のことです。
出版された「西洋料理指南」「西洋料理通」の 2 冊には.カレー料理の記述がみられる。
店で販売されたのは 明治19年,東京・神田の丸久で 9銭で売られたのが始まりと言われる。
その後急速にカレーは広まっていき,明治30年代になると大衆の食物として定着したとみられる。いつの間にか,ラッキョウ,福神潰などの薬味がバイプレーヤーの地位を確立しだり,ソースをかけて食べるというユニークな食べ方がポ ピュラーになったりしているのが面白い。
大正15年には,エスビー食品の前身であるカレー粉専門店日賀志屋が山崎峯次郎によって創業された。わが国初めてのカレー粉専門店である。同社はその後昭和24年にエスビー食品と社名を変更,昭和39年には即席カレーを発売し,即席カレーブームを創りだしている。
レストランでカレーライスを花形メニューにしていったのは昭和の初め,東京の新宿中村屋の食堂,資生堂パーラーJ大阪の阪急百貨店食堂であった。昭和2年,3年,4年と相ついでオープンしている。なかでも阪急百貨店の食堂では,昭和10年代でカレーライスを1日13,OOO食も提供した記録があるというから凄い。
リンク先PDFに「インド式カレー」のレシビも載っています。骨付き鶏肉を使うタイプです。
おまけで、ハヤシライスの話。
「ハヤシライスから日本の食文化を考える」
ハヤシライスは、日本発祥の洋食でドミ グラスソースと玉葱の甘みを生かした料理です。これが一時期、「大人のカレー」VS「子供のハヤシ」という区分になりました。ハヤシライスは、丸善の創業者早矢仕有的が創作したという説がありますが、従来からハヤシライスとして一般に認識されている料理と有的が幕末から明治初期に家に来た友人に振る舞った料理(ハヤシライス)とは違うのでは?ということもあり『丸善百年史』では 疑問を呈しています。
『百年史』には、「ハッシュ・ビーフにライスを合わせて称したものが、ハヤシライスの語源に違いない」と書かれております。 また有的が振る舞った料理については、「友人が訪問すると、有的は台所にあり合わせた肉類や野菜類をゴッタ煮して飯を添えて饗応するのが常であった」との記述があります。
自社の話を自分たちで検証して修正していくスタイル。こちらもリンク先に続きが載っています。