FGOで採用されている、アスクレピオスがアルゴー船に乗っていた話について調べたことメモ。
FGOアスクレピオスが乗っているアルゴー船。アルゴー船の伝説については皆様何かの時に聞いたことがあると思いますが、多分あるとは思われますが、あ、あるよね……?(目が泳ぐ)
皆様御存知アルゴー船と思いつつ、最初にざっくりと説明します。(自分の知識が偏ってると何となく察しているヲタク)
アルゴー船の物語 雑なあらすじ
主人公の王子イアソンは山に住んでいるケイローン先生に預けられ育てられていたが、大きくなって山を降りた。その後王位を叔父から返してもらう条件として、黒海のむこうの遠い国の宝である黄金の羊の毛皮をもってこいと言われる。
そこでアルゴー船を作り、女神ヘラの助けとケイローン先生の所に居た時の伝手などで、勇者を50~100人ほど集めて旅に出た。(本によって人数が異なる)
往路も復路も当然困難は多かったけど、イアソンは魔女メディアの助けで黄金の毛皮を入手して凱旋して王位についた、というお話。
旅の途中の詳細や、王位を得た後のその後などは実際の本で読んでね!
ネットでざっくり読みたい人はこちら
※話によっては、予言者ピーネウスのくだりで乗船していたアスクレピオスが登場するらしい(出てくる本をまだ見つけられていない)
FGO「アルゴー船ゆかりの者」属性を持つサーヴァント
イアソン(船長)、メディア、メディアリリィ(イアソンの妻)、キルケー(メディアの叔母で殺人の穢れを払った)、ヘラクレス(途中で下船するところまでセットの固定メンバー)、アタランテ(弓)、アタランテ(狂)、アスクレピオス、ケイローン(主力メンバーの先生)、パリス
(2019.10末現在)
星の神話だとこの辺が関係ある
アルゴー船の星座(現在は分割されている)をはじめ、関係ある星座は多いです。アルゴー船の物語は古代の人々においてよく知られていた物語だったことが伺えます。
★牡羊座 黄金の羊(生前)。兄弟を助けて海を渡った後神に捧げられて皮になりました(要約)これがアルゴー船の目指すお宝「黄金の羊の毛皮」
下記の記事では地図とともに物語が紹介されていて、位置関係がわかりやすかったです(目的地のコルキスは現ジョージア付近)。昔は砂金が採掘されていて金輸出国だったのだそうです。
★りゅう座 黄金の羊の毛皮を守っていた竜がりゅう座とも言われている(ヘラクレスの十二の試練の1つ、黄金のリンゴの木を守っていた竜だとも)
★射手座 ケイローン先生。野蛮なケンタウロス族の中で例外のなんでも教えられる賢者。先生はアポロン。幼いイアソン(船長)が預けられた。ヘラクレス、アキレウスなど多くの英雄の先生でもあり、アスクレピオスも預けられた。
★ヘルクレス座 ヘルクレス座の神話 アルゴー船の物語だと何らかの理由で途中下船するパターンらしい。
★琴座 楽師オルフェウスの持ち物。アルゴー船絡みだとたしか羊の皮を守る竜を竪琴で眠らせたとかあったはず。 こと座の神話
★双子座 カストルとポルックス ふたご座の神話 「アルゴ号の遠征隊にも参加し、ポルックスはビチュニアの王・アミュコスをも打ち負かし、双子の兄弟は誉れ高い英雄でもありました。」
(★へびつかい座 アスクレピオス)
アスクレピオスはいつでもアルゴー船に乗っていた?
FGOで採用されている「アスクレピオスはアルゴー船に乗っていた」というエピソードについて。
アルゴー船の物語に言及した作品で、現存する中では最も古いのがホメーロスの『オデュッセイア』(紀元前8世紀、紀元前800~701、頃)です。
この作品ではアスクレピオスはアルゴー船に乗っていません。というよりアルゴー船のエピソードをちょくちょく話の引き合いに出すという使われ方なので船員には殆ど触れていません。
※時系列 : アルゴー船(イーリアスの1~2世代前) → カリュドーンの猪(後述) →イーリアス(トロイア戦争10年目) → オデュッセイア(10年放浪の後に帰郷)、と考えられている。
アルゴナウタイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルゴナウタイ
アルゴナウタイ(古典ギリシア語:Ἀργοναύται, Argonautai)は、ギリシア神話においてコルキスの金羊毛を求めてアルゴー船で航海をした英雄たちの総称である。
ギリシア語の Ἀργοναύται は「アルゴーの船員」を意味する Ἀργοναύτης(Argonautēs, アルゴナウテース)の複数形である。
ラテン語では Argonautae(アルゴナウタエ)、英語では Argonauts(アーゴノーツ)。
アルゴー船の乗組員
アルゴナウタイの数は約50名であったといわれる(シケリアのディオドロス『歴史叢書』は54名を挙げ、
ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』は55名を挙げ、
ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』は64名を挙げ、
ガイウス・ウァレリウス・フラックス『アルゴナウティカ』は52名を挙げる。)
が、ツェツェース (John Tzetzes) (およそ1110年 – 1180年)のように100名の名を挙げる例もある。
アルゴナウタイの神話は、原典資料やこれを扱った研究資料によっても異説が多い。
wiki、アスクレピオスの項目。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アスクレーピオス
ケイローンのもとで育ったアスクレーピオスは、とくに医学に才能を示し、師のケイローンさえ凌ぐほどであった。やがて独立したアスクレーピオスは、イアーソーン率いるアルゴー船探検隊(アルゴナウタイ)にも参加した。
アスクレピオスはアルゴー船関係の古典本に乗組員として名前が出ていて、FGOではそれを採用しています。
とはいえ、上記に挙げられた本の中では「ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』」のみです(たぶんそのはず。間違ってたらすみません)。
※アスクレピオスはアルゴー船時点では生きているが、その後のトロイア戦争時点では死亡している(息子の発言から推測)
※イーリアスではアスクレピオスは神ではなく人間の医者
馬場恵二『癒しの民間信仰―ギリシアの古代と現代』紹介
次に、アスクレピオスに言及する文献史料の検討に入ります。
前8世紀のホメロス『イリアス』と前5世紀前半のピンダロス『ピュティア祝勝歌3』です。ホメロスの『イリアス』(第2巻軍船のカタログと第4巻)では、アスクレピオスは、「医神」はなく、生身の「人間」の「医師アスクレピオス」にとどまっています。
しかし、ピンダロスでは、アスクレピオスの「生と死」を語る中で、神アポロンと人間の混血であったアスクレピオスに「半神(ヘーロース)」の名が与えられています。
※ピンダロス—祝勝歌の作者。次項以降参照
アスクレピオスの名前はいつ頃から出てくる?
繰り返しになりますが、アスクレピオスはどの古典本でもアルゴー船に乗っていたわけではありません。
上記のガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』は紀元前後付近(作者が死亡したのが紀元17年)なので、ロドスのアポロニオスの「アルゴナウティカ」(紀元前3世紀)からかなり後です。
アルゴー船の船長のイアソンが幼い頃にケイローンに預けられる場面についても複数の本を比べてみると、アスクレピオスの名前が出てきたり出てこなかったりします。
アルゴー船の神話とは元々は関わりが薄い/無かった様子が伺えます。
とはいえ、ピンダロスの祝勝歌(紀元前5世紀ごろ)の「ピュティア第三歌」「ネメア第三歌」では、(アルゴー船の船長であるイアソンが育てられた)ケイローンによってアスクレピオスが育てられた話が出てきますし、ケイローンが育てた英雄としてイアソンとアスクレピオスの名前が併記されています。
(なおピュティア第四歌ではアルゴー船物語を扱っている)
アスクレピオスが「ケイローンゆかりの者」であるという話自体は古くからあったようです。その延長線上にアルゴー船への乗船があるのかもしれません。
もしかしたら現在は失われた版のアルゴー船の物語では、ケイローンゆかりのアスクレピオスがずっと乗船していて所々で活躍していたという話もあったかも?(希望的妄想)
祝勝歌と当時の人々の祖先の考え方
ピンダロスの祝勝歌は競技祭の勝利者を祝うために謳われた歌です。優勝者の家系をさかのぼり、出身地固有の英雄伝説がうたわれたのだそうです。
当時は、共同体の始まりは「この神」とか「この英雄」で、自分らはその子孫であるという考え方があったとか(共同体共通の神話として考える)。
(なお、「ケイローンがまだ生きていれば…」と、アスクレピオスが出てくる祝勝歌ピュティア第三歌は、「勝利の歌が捧げられる前回優勝者」または「個人的な私信の相手」が病を患っていたためこの内容になったとも)
コス島の「アスクレピオスを祖とする医師集団」も特殊ケースではなく、当時は一般的な考え方だったようです。
アスクレピオスの神官医師団アスクレピアダイの場合は一族以外でも学ぶ気が有るものは受け入れるというルールだったとか。
[メモ] 古代ギリシアのエピダウロス巡礼-アスクレピオスの治療祭儀
[メモ]カリュドーンの猪
これはアルゴー船とはまた別の「暴れイノシシ退治」という「英雄大集合」イベントですが、これについても、アスクレピオスが参加しているバージョンがあるそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/カリュドーンの猪
カリュドーンの猪(カリュドーンのいのしし、英語:Calydonian Boar)はギリシア神話に登場する巨大な猪。長母音を省略してカリュドンの猪とも表記する。
アイトーリアのカリュドーン王オイネウスが生け贄を忘れたために女神アルテミスの怒りを買い、この猪が放たれたとされる。
カリュドーンの猪を退治するためにギリシア全土から勇士が集まった。狩りは、犠牲者を出しながらも猪を仕留めることに成功する。しかし、猪退治の功績をだれに帰するかについてメレアグロスと彼の伯父たちとの間で争いとなった。メレアグロスは伯父たちを倒すが、母アルタイアーに呪われ、彼の寿命とされた薪を燃やされて死んだ。
このような英雄たちの集結は、ギリシア神話中でもイアーソーン率いるアルゴナウタイ及びトロイア戦争などでも見られ、物語の登場人物の関連から、時系列的には「アルゴナウタイ」の後、「テーバイ攻めの七将」やトロイア戦争以前に位置する。
アスクレピオスが居たり居なかったりするのはなぜ?
先に挙げた通り、アルゴー船の神話が出てくる本のうち、船員にアスクレピオスの名前があるのは一部です。
アスクレピオスは元々はテッセリア地方の神で、紀元前1500年頃にはアスクレピオスの神話が成立していました(大雑把な説明)。
後にギリシアの神として、アポロンの治癒神としての面を受けて組み込まれ、信仰が広まり人気を得ました。(なお、父とされるアポロンも別系統の神話からの参入と考えられている)
その後徐々に信仰の地域は広がり、エピダウロス市で信仰の拠点が築かれたあと、紀元前420年にアテナイにアスクレピオスを祀る末社が設けられます。
更にその後の紀元前291年、ローマにも末社が作られ、ローマ帝国にも信仰が広まっていきます。
アスクレピオス信仰については大きく分けて「エピダウロス系」(残っている史料が多い)、「トリッカ系」(史料が少ない)の、二系統があったのではとする考えがあります。
アスクレピオスとアルゴー船
アスクレピオスの英雄集合イベント参加は基本的には「後付」と考えられているそうです。(神話系統が違うため)
こちらのHPで紹介されている複数の生誕関係の記述について。
複数の説があるのは、元々の信仰の地からギリシャへと広まっていく間に様々な異説が生まれていったからと推測されます(異説を比較研究することで信仰がどう広がっていったかが推測される)。
アスクレピオスの「生前の神話」について、へびつかい座の神話に挙げられているアスクレピオスの一生の物語以外に目立ったものがないように見えるのは、後からギリシャ神話に組み込まれていった経緯からかもしれません。
自分の予想ですが、アスクレピオスの信仰や人気が高まるにつれて、口伝や物語の数あるバージョン違いの中に「あの人気の医神アスクレピオスも実は船に乗っていた」「実はイノシシ狩りに参加していた」パターンが生まれていったのでは、と思います(推測)。
結果的に「何か大きなイベントがあると怪我の症例を集めに行く医神」みたいになっている気がしますが気の所為です。
FGOでアルゴー船に乗っているのはどうして?
ここまで色々と並べてきましたが、アスクレピオスはアルゴー船に乗った記述や、旅の道中の逸話は少ないです。なのにどうしてFGOでは乗船説が採用されたのか。
テッセリア → メッセニア → エピダウロス →(コス島(ヒポクラテス)) → ギリシア → ローマ(→その後キリスト教になった後でも初期は信仰が続いていた)、と信仰が広がり大きくなっていく中で、「アルゴー船に乗っていた」という逸話が出た(ローマに伝わり名前が広まり、ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』が書かれた)頃のアスクレピオス信仰はおそらく最盛期だったのではと思います。
ローマでの信仰はこんな感じ
ローマにアスクレピオスの社が出来る
アリストファネス(紀元前446年頃 – 紀元前385年頃)の喜劇「福の神(プルトス)」で取り上げられる
「ヒュギーヌス(紀元前64年頃~紀元17年)の『Fabulae』(神話集)」でアルゴー船に参加。同本には「人間から神になった」「臨床医術を発明した」などの記述も。
FGOの英霊は「最盛期の姿で召喚される」と言われていますが、なるほど信仰の最盛期。
そういった理由で「アルゴー船に乗っていた逸話」を持っている時点のアスクレピオスが英霊として召喚されたのかもしれません(推測)
アルゴー船とアスクレピオスについてここまで読んでいただいてありがとうございました!
以下は「アルゴー船の物語」について調べたことメモです。
メモ
以下はアスクレピオスを中心とした話の流れから外れていたために外した項目です。アルゴー船の物語についての説明が主です。
アルゴー船の伝説はいつからあるの?
株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版 【アルゴナウタイ伝説】より
アルゴナウタイArgonautaiとは,ギリシア神話で金羊毛を獲得するために英雄イアソンが企てた遠征に参加した一群の英雄の総称で〈アルゴ船の乗組員たち〉の意。
彼らにまつわる冒険譚が《アルゴナウティカ(アルゴナウタイ物語)》といわれ,ホメロスさえ周知の物語として言及する古い伝説で,ヘレニズム時代のロドスのアポロニオスの作品をはじめ,ほかに2編この表題の叙事詩が伝存する。
この古くからあった伝説をもとに作られたのが「オデュッセイア」「アルゴナウティカ」などの文学作品です。
※ホメロス 紀元前8世紀ごろ成立した叙事詩「イーリアス(トロイア戦争の終盤の戦記)」「オデュッセイア(トロイア戦争後、帰国するための旅の物語)」の作者
※オデュッセイアではアルゴー船の物語を所々で引用(参照)している。
時系列としては「アルゴー船」→「トロイア戦争」
※トロイア戦争については物語の記述に合致する遺跡が発掘されたため、何らかの実際の出来事が元になっていると考えられている。現在では「紀元前1200年中期」説が有力(wiki)。
※アルゴー船の伝説は「ホメロスの時点ですでに周知」の古い伝説と考えられている。(いつ頃から存在しているかについては、まだまだ研究中なのだと思われる) アルゴナウタイ伝説 話のあらすじは紹介されているが、伝説の発生時期へ言及はない。
「アルゴナウティカ」って何?
アルゴナウティカ【Argonautica】
〈アルゴナウタイ物語〉の意で,古代作家たちが好んだ題材の一つ。作品名にも多く用いられたが,ホメロスの時代の叙事詩は失われた。
前6世紀にクレタのエピメニデス,前5世紀にヘラクレアのヘロドトスが同名の作品を書いたが,これも伝存しない。
ピンダロスは《ピュティア第4祝勝歌》でこの物語を詳細に扱っている。
現存する最も有名なものはロドスのアポロニオスによる叙事詩である。これはホメロス以後の叙事詩中の最高傑作と評されたもので,とくにメデイアの恋を扱った第3巻の迫真的心理描写は圧巻である。
※アルゴナウタイ 「アルゴーの船員たち」の意味
※「ロドスのアポロニオスのアルゴナウティカ」が「アルゴー船伝説」を文字文学として書き記したもののなかで現存する最古の話
※ロドスのアポロニオスは、ホメロス(オデュッセイア)より後世の人。かなり後。
アルゴー船を扱った物語は複数ありますが、話によって人数やメンバーが違います。
アルゴー船の物語で現存最古のロドスのアポロニオスの「アルゴナウティカ」ではアスクレピオスは乗っていません。
西洋古典叢書版は現在出たばかりなのと、注釈が同ページに載っていて分かりやすいのでオススメ
どれを読めば正しいの?
ホメロスの書いた物語「オデュッセイア」(合間合間にアルゴー船の話や、アルゴー船の物語をモデルにしたらしき箇所が出てくる)や、ロドスのアポロニウスの「アルゴナウティカ」(現存では最古のアルゴー船の物語)だけが「正しい伝承」なのかというと、そういうわけではありません。
・「アルゴー船の伝説」自体は吟遊詩人などによって口伝で伝えられていた物語だった(ミケーネ文明かそれ以前に生まれた後、文字が失われていた「暗黒時代」にも口伝で発展していた)。後に文字ができて書き残される前から存在した伝説である
・口伝は聴衆に聞かせながら語るので、その時々で長くなったり短くなったり、聴衆の反応で大げさになったり場面を飛ばしたり、その場で変化していく物語だった
・紀元前9世紀頃に新しい文字ができて書き留められることで「物語が固定」された
・その「固定された物語」で現存している中で一番古いのが「ロドスのアポロニオスのアルゴナウティカ」(紀元前3世紀)
・ホメロスが書き留めた「イーリアス」「オデュッセイア」(紀元前8世紀)は「アルゴー船の物語について触れている作品の中で最古」(これ単独でアルゴー船の物語全容がわかるわけではない)
・1つの物語内で文体が違う部分があるため「ホメロス」は一人ではないのでは?(異なる時代でつぎはぎ?)等々の推測がある
・オデュッセイアやアルゴナウティカ以外にもアルゴー船について書かれていた物語はあった形跡はあるが、現在では失伝している
・外伝エピソードは断片的に他の書物に残っていたりもする(そして失われたものも数多くある)
・アルゴー船やトロイア戦争は完全な空想物語ではなく、歴史上の何らかの出来事が元になっていると考えられている
「正伝」と言えるような話はなく、断片的に残されている様々な話から、いま自分たちが知る物語が再構成されています。アルゴー船の物語について今でも研究が続けられています。
神話の元になっている古典は色々あるので、異説が色々ある、ということを念頭に置いて読むと本によって話が異なる理由がわかります。
アルゴー船のメンバーについて
先述の通り、アルゴー船の物語はバージョンが複数あります(といっても古典の人気ある人物は全体的にそんな感じですが)。
なので1つのエピソードでもA本とB本では途中経過や結果が違うということもしばしばあります。
結果、アルゴー船に乗っていた人数やメンバーも異なるのですが、これについては「聴衆(読者)が所属する共同体の祖とされる英雄」(おらが町の先祖のえらい人)の存在が重要だった頃の名残というか、そのころの形式が残っているのだろうと推測。この話は後の「祝勝歌」にて。
研究科の藤村シシンさんの講義によると「オリンピックの入場行進」のようなものだそうです。聞き手のための部分。
100人バージョンは時代が下った後にまとめられた話のようなので、異説を集められるだけ集めた結果(つまりそれだけ多くの町でアルゴー船の物語は語られた)って事なのかなあと思いました。
アルゴナウタイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルゴナウタイ
アルゴナウタイ(古典ギリシア語:Ἀργοναύται, Argonautai)は、ギリシア神話においてコルキスの金羊毛を求めてアルゴー船で航海をした英雄たちの総称である。
ギリシア語の Ἀργοναύται は「アルゴーの船員」を意味する Ἀργοναύτης(Argonautēs, アルゴナウテース)の複数形である。
ラテン語では Argonautae(アルゴナウタエ)、英語では Argonauts(アーゴノーツ)。
アルゴー船の乗組員
アルゴナウタイの数は約50名であったといわれる(シケリアのディオドロス『歴史叢書』は54名を挙げ、
ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』は55名を挙げ、
ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』は64名を挙げ、
ガイウス・ウァレリウス・フラックス『アルゴナウティカ』は52名を挙げる。)
が、ツェツェース (John Tzetzes) (およそ1110年 – 1180年)のように100名の名を挙げる例もある。
アルゴナウタイの神話は、原典資料やこれを扱った研究資料によっても異説が多い。
祝勝歌 ピュティア第四歌
ピンダロスの祝勝歌(紀元前5世紀ごろ)のピュティア第四歌ではアルゴー船の物語を扱っています。
祝勝歌とは
祝勝歌(しゅくしょうか、古典ギリシア語:Επινικια、Epinikia、エピニーキア )とは競技・競争等での勝利を祝ってうたう歌・詩である。一般に、古代ギリシアにあってオリュンピア競技祭などの勝利者を称える目的で造られた歌・詩を指す。「祝捷歌」「捷利歌」とも呼ばれる。
とりわけ、古代ギリシアにあって、紀元前5世紀初頭から中期にかけて活躍した詩人ピンダロスの詩作品が名高い。一方、逆に敗者をせせら笑う嘲喩を込めた歌もまた古代においては多々発見されている。
ピンダロスの祝勝歌は競技祭の勝利者を祝うために謳われた歌で、優勝者の家系をさかのぼり、出身地固有の英雄伝説がうたわれたそうです。(詳細は下記論文参照)
典礼神話学序説 : ピンダロスと「勝利の歌」の射程
なのでアルゴー船についての歌があったということは、アルゴー船の英雄が自分たちの始まりと考えている共同体があったという事なんだと思います、多分。
(ケイローン・アスクレピオスの出る戦勝歌については、歌を送られる人が病気を患っていたから説)
当時は、共同体の始まりは「神」とか「英雄」で自分らはその子孫であるという考え方があったとか(神話を共同体共通の物語として考える)。
上で挙げたアルゴー船の物語の「船員リスト」や、イーリアスの「軍船カタログ」なども、聞き手(自分たち)の先祖とされる英雄が登場するシーンとして重要視されていたのただと思います。
[メモ] wikiですが興味深い内容だったのでメモ貼り付け
https://ja.wikipedia.org/wiki/古代ギリシアの宗教
英雄
英雄の伝承としては、例えばヘーラクレースと十二の功業、オデュッセウスの故郷への旅、イアーソーンと金羊毛、テーセウスのミーノータウロス退治などが挙げられる。これらの英雄は、必ずしも神々の血筋を受け継いだ超自然的な存在ではなく、オデュッセウスやメネラーオスのように、人間の両親から生まれながらも英雄と称される場合もあった[18]。ホメーロスが力と勇気、あるいは知恵によって尊敬される者を英雄としたのに対し、ヘーシオドスは神話時代の4代目の子孫、トロイア戦争とテーバイの戦いに参加した世代の者たちを英雄とした[18]。古代ギリシア人は、英雄を、自分たちの先祖の中で最も有名なものと考え、先祖を祀るのと同様に敬った[18]。英雄はそもそも理想化された人間であり、一般の人間が死後亡霊になるのに対し、英雄たちは生前の性質を保ったまま人間と神の仲介者となることができたのである[18]。
古代ギリシアで崇拝された「英雄」は、キリスト教の「聖人」とは根本的に異なる存在である[20]。聖人はより高次の存在と人間の仲介者であるが、英雄は、英雄自身が人間の祈りを受けてそれに応える、ほとんど神と同格の存在として信仰された[20]。
教典
古代ギリシアの宗教には聖典と明言された文書等は存在しないが、ヘーシオドスの『神統記』と『労働と日』、ホメーロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』、ピンダロスの讃歌などは特別視された[39]。それらの作品は一般的にムーサへの祈りで始まり、ムーサの霊感を与えられることで語られるとされた。
まとめ
アスクレピオスは、イーリアスでは息子二人が軍船を率いて参戦するシーンがあることで間接的に名前を連ねています(人間の英雄として扱われている)
アルゴー船の物語への参加については、名前が明記されるのはかなりあと(ガイウス・ユリウス・ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』は紀元前後付近、ローマまで信仰が広がった後)のようです。
このあたりになると上記のような「わが町の先祖」という考え方を含めてアルゴー船の物語が読まれていたのかどうかは分からないです。(最初は口伝の伝説「神話」という位置づけだったが、文字が発明されて数百年を経て「物語」になっていった)
アスクレピオスがアルゴー船の船員名簿に加わった頃は、共同体の起源神話としての神秘性は薄れていたかもしれませんが、少なくとも「世間で人気がある神様」「なので実は乗っていた」的な理屈は働いていたのではと考えられます。(ヒュギーヌスのギリシャ神話集では「神」として扱われている)
最後まで読んでいただきありがとうございました!